





理屈はわかりませんが、見て綺麗ですね。
人間って、小さい時、最初に興味を持ったことって、結構、後で尾を引きますね。
ドブソニアンって、最近知りました。(汗)
オヤジはラヂオ少年で、片道60kmの東海道線に乗って、東京駅でお回りさんに保護された経験があります。
小2でした。
真空管とかトランスとか、ラヂオ部品を買いに、親にも内緒でお年玉を持って。
父は、立ち上がれない程殴られました。
その後は、ばあちゃん同伴で秋葉原はずいぶん通いましたよ。(笑)
良いでしょ?このチャート。
さらに12種類のパレットを混合すると、色々遊べますよー。
大人買いで技術が追いつかない内に機材の重みで沼に沈んでしまうのがオッサンの弱みでしょうかね。
私は、今回の納品機材をもって、しばらくは軍拡停止です。いや、予定です。
ドブソニアンは、旧ザクの残骸みたいになってたのを発掘してニュータイプ専用機に仕上げました。なんてね(笑)
この新パレット、天体以外にも、赤外カラーの風景写真にも使えそうなので夢が広がります。
それにしても小2でラジオ少年とはスゴいですね。
その頃の私は、たしか天文始める前で、1年中テントウムシの観察に熱中してました。

機材も数万円位なら高校生でもと思いますが国産高すぎ。
シンタに頑張ってもらいもっと安くて高性能な天体機材を発売して欲しいと思っているのは自分だけでしょうか。

加法混色(色光の三原色)と減法混色(色料の三原色) をイメージすると ふむふむ ってなる様な気がします。
初めて望遠鏡を覗いたのは、小学生の頃
どこからか親父買ってきた屈折....虚ろな記憶ではそれなりに長くて口径100位あった様なぁ。。
筒は紙製で木製三脚に載ってた...そんな昔でも組み立て望遠鏡が販売されていたのか、親父の自作だったのか今では確認する術がないのですけどね。
で、30年前かぁ.....
その頃は車とバンドに夢中でした (;^_^A
当時はモータードライブも使わず全手動追尾で30分以上の露光をこなす猛者もいましたが、私はそこまでの根性は無かったので、ガイドアイピース(中に格子状のスケールが入ってました)を身ながら、モーターのコントローラーをポチポチしてガイドしてました。今からすると、それも結構な苦行でしたね。
ビクセン赤道儀もずいぶんお高くなっちゃいましたので、現代では海外勢にがんばってもらいたいですね。
そうです。まさに減法混色のイメージですね。
ただし、今回は、それをあえて加法混色で行ってますので、三波長が揃ったところが黒ではなく白になってます。
大学生の頃に天文から離れてたのが、今考えると勿体なかったかも。あのころは、日夜、音楽(クラシックの合唱)にのめり込んでたもので。
さて、紙製鏡筒の屈折望遠鏡、夢があって素敵ですね。口径100mmだとすると、かなりレアな物だと思います。


ファミスコはセミアポってんで欲しかったんですが、結局、買わなかったなぁ・・当時、小学生のお小遣いでも買えるお値段に落ちてたんですが・・
AR-1赤道儀はボクも使ってました!小型の割に案外重たくて、高校時代は同じ天文部の仲間のスーパーポラリス赤道儀がやたら羨ましかったっけ。
10cmでしたが、ドブソニアンも作りましたよ!F10だったので、長すぎて合宿持っていったら、ぽっきり折れて使えず終いでしたが・・(^^ゞ
それにしても、デジタル化による機材の進歩は著しいですね。
でも、安価なデジカメで大量コンポジット、気合と根性で、機材のハンデを乗り越えることも可能な時代なので、若者には頑張って欲しいなァ・・・
なつかしいでしょー。
そうですか、utoさんもAR-1をお使いでしたか!。
追尾精度はともかく(実測で約30秒のピリオディックモーション)なかなかまじめに作られていて使いやすかったです。
AR-1は、GPDを買うまで、約15年ほど愛用しました。一応今でも動きますよ。
utoさんオススメの格安CMOSカメラで、短時間露光+ノータッチガイド+多数枚コンポジットなら、お手軽に撮影できますね。ソフトもフリーばかり使うとかして、ね。
ぜひ若者達にも、チャレンジしてもらいたいものです。